服飾の専門学校に通っていた3年間、その後母校で勤めた3年間でお世話になった
恩師N先生は、パターン(型紙)をひくときはいつも鼻歌を歌っていたように思う。
鼻歌うたいながら、わたしがどれだけ考えてもうまくいかなかったパターンをちょいちょいと直してくださったりするのだった。
「絵を描くみたいに線をひけばいいのよ」
ということばどおり、あんなにすごいひとなのに、楽しそうにしごとをするのだなあとその姿に憧れた。
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独立してひとりでしごとをするようになり、わたしはN先生を真似して鼻歌うたいながらパターンをひいてみた。
なんとなく、うまくひけるような気がして。
もちろんそんなことはなかったのだけれど、鼻歌うたうのはいつしか癖になった。
そのうちミシンを踏むときもアイロンかけるときも、しまいには普通に声に出して歌っていることになってゆくのだけれど…!
癖になると、別に楽しくて歌っているわけでもなくなった。
しごとなんだからいつも楽しいものではないのは当たり前で、でも、ひとまずふんふんふーん、とはじめてみると、楽しいとは言えずとも、はじめる前よりは気分よく終えることができるような気がした。
先生ももしかしてそうだったのかな、と今は思う。
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N先生からはごくごく近くに寄らないとわからないくらいの淡さで、いい匂いがした。
思い切って何の香水を使っているのかたずねてみると、
「香水は使っていないけれど、シャネルのボディパウダーを付けているから、それかしら」
と答えてくれた。
鼻歌よりは敷居の高いまねっこはすぐには叶わず、今に至る。
もうじゅうぶんな大人になったというのに、百貨店の化粧品売場に怖気づいてしまうのだ。
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ほんとうなら、N先生の持つ技術を吸収して受け継ぐことこそ下の世代のすべきことなのだろうと思う。
わたしの描くパターンの基礎はN先生にあるので、そこは確実にあるものの、当時のわたしは未熟すぎて、どんどん流れてくる神水を小さなおちょこで受けてじゃばじゃばとこぼしていたようなもんだと思う。
でも、少なくとも鼻歌は自分のものにした。
晴れでも雨でも暑くても寒くても、そこそこ気分よくしごとができるのはN先生からいただいたものだと思う。
あとはシャネルだな、と思っていたら、ぐうぜん友人からシャネルのヘアミストをプレゼントにもらった。淡い香りがちょうどよく、この夏は、そこそこじゃなくけっこう楽しく仕事している。